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11月24日

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ウラジーミル・スヴェルドロフ=アシュケナージ(34歳)というロシア人のピアノリサイタルを聴きいてきました。

動機は、いつもながら、演奏プログラムにベートーヴェンのピアノソナタ32番が入っていたからです。私は彼のことを全く知りませんでした。

長いフルネームを書いたのは、ウラジーミル・ダヴィドヴィチ=アシュケーナージ(75歳)という超有名なピアニストと間違えられてしまう、

と思ったからです。スヴェルドロフは彼(ダヴィドヴィチ)の甥だそうです。

 

演奏は非常に興味深い素晴らしいものでした。(初めてマリア・ユーディナの32番を聴いた時のような興味深さといえば言い過ぎか・・)

 

少し型破りな演奏と言えるかもしれません。緩急・強弱を感覚的に操作する方向性。

速いパッセージでは若く優秀なピアニストならでは指さばきで、今までに聴いたことのない速さで正確に弾いてみせ、

譜面から独特の美しさを聴かせてくれました。和音なども多少分散和音気味にずらして弾いたり、様々な小技も交えていたようです。

速くても旋律が混濁しないよう、巧みに緩急・強弱を織り交ぜて主旋律とバックグラウンド描き分けを確実にこなすので、

彼独特のアクセントを与えながらも、基本的な曲の印象をはずすことはありません。

結果として、少し個性的な解釈を含ませつつ、明確にそれぞれのパッセージに性格を与えて興味深く聴かせてくれました。

アリエッタので導入部では、やや強く・硬すぎると思える打鍵で始まり、多少の違和感に戸惑いましたが、その後の独特のニュアンスにより、

旋律を浮かび上がらせる一つの方法論なのだと納得させられました。

全ての解釈に共感したわけではありませんが、ピアニストが自分の感性を信じて、一つの方向性を提示した表現の形を

熱演してくれ、素晴らしいと感じました。

 

おそらく、私が、ピアノソナタの32番を10〜20枚程度聴き比べしていた段階であったなら、彼の演奏には違和感だけを感じたかもしれません。

しかし現在、同曲を205枚のCDで聴き比べるに至っておりますが、100の演奏を超えた辺りから、

『どれがどれより優れている』か、いうことには、それほど関心がなくなりました。

それよりも、そのピアニストが、何にこだわっていて、それを実現するために今まで何を努力して積み上げ、どのように工夫して演奏しているか、

ということが最大の関心事になっています。

それぞれの演奏の特徴が異なるのは当たり前で、完成度や技術、取り組む熱心さのレベル差というのは一つの基準としてありますが、

それらをあるレベル以上クリアした演奏も何十と存在し、あとは聴き手の好み次第としか言いようがない気がするのです。

(そのため、私がもっとも評価しない演奏は、何のこだわりも感じられない、ただ全集を出すから32番もついでに弾いてみた、という演奏です。)

そういう心境で聴いた今回のスヴェルドロフ=アシュケナージのピアノソナタ32番は、他にない、しかも質の高い非常に面白い32番で楽しめました。

是非、ベートーヴェン後期ピアノソナタのCD録音をしてくれたなら、すぐにでも入手したい一枚になると思います。

 

ー*−*−*−*−*−

 

追記 〜“作為”の是非について〜

私が作品を評価するときに、「“作為”がいやらしく感じる」という場合と、「“作為”が面白い」という場合があります。

その違いは、前者が“作為”をもっともらしくみせようと(“作為”がないかのように)感じさせようとしているのに対し、

後者は、“作為”が作為であることを明らかにしていることです。「一般的な表現は嫌だから自分の好みに改変しています」と公言していることです。

今回のスヴェルドロフの演奏や、マリア・ユージナの演奏は後者で、バレンボイムの2005年のライブ録音の32番は前者だと感じるのです。